1960年代までに、アンティグア・グアテマラの市場の露天商たちは、保険査定人が見れば無謀としか思えないやり方で災厄と折り合いをつけていた。彼らは、1773年の地震によって二世紀も前にすでに使用不能とされていた植民地時代の教会の、崩れた身廊にただ店を構えたのである。バロック様式のアーチは、もはや証明すべきことなど何もない石積みの頑固な無関心さでいまだに立ち続けており、かつて屋根が締め出していた空を縁取っている。その下では、まるで廃墟が単なる日陰の一種であるかのように、トマトやかごを扱ういつも通りの商いが続けられている。
縞模様のウィピルを着た女性が、字を覚える前にその技を覚えたであろう者の落ち着いた均衡感で、編みかごを頭に載せて運んでいる。彼女は、背後の瓦礫とほとんど変わらぬ古さに見える支柱に立てかけられた日よけの間を縫って歩いていく。この配置のどこかに、大聖堂は宗教的な役目を退いて野菜商いのための荷重を支えるランドマークへと格上げされうる、という土地に根ざした整然とした論理がある。グアテマラが廃墟を取り壊さずに残したのは、感傷からではなく、再建には費用がかかり、市場にはどのみち日陰が必要だったからにすぎない。
麦わら帽子をかぶった少年と赤い服を着た小さな子どもが、アーチ目当てで来てトマト目当てで居座る観光客に見られることに慣れた者の忍耐強さでカメラを見つめている。この写真の中の誰一人として、建築に感銘を受けてはいない。それはただ、いつもそこにあり、十年ごとに少しずつその役割を減らしてきただけであり、それもまた一種の市民的な信頼性なのである。
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